ごあいさつ 中村成美(なかむらなるみ)伝道師

こんにちは。教会のホームページをご覧くださり、ありがとうございます。
私の家には多くの日本人と同じように神棚と仏壇がありましたが、大学生の時にアメリカに行き、そこで初めて教会に行ってイエス・キリストを知りました。
日本に戻ってからも聖書の学びを続けて、新鮮な教えやクリスチャンの方々の優しさに感動し、イエス様を信じようと決心しました。
その後、もしかしたら牧師になるのかもしれないと考えるようになり、中央聖書神学校に入学し2025年3月に卒業、2025年4月から当教会に赴任しました。
兵庫県出身ですが鳥取に近い小さな港町で育ちましたので、話すのはどちらかといえば鳥取弁です。でも、お笑いは好きなので、関西圏のテレビが見れる兵庫県に生まれて良かったなと思います。
イギリス発のファンタジーやミステリーが好きで、将来の夢はイギリスに行くことです。ディズニーも好きです。王道の映画や歌から、ヴィランズがモチーフのあのゲームまで…。食べ物で言うとチョコレートが好きです。チョコを食べる度に、発明してくれた人に感謝しています。
私が教会に来たキッカケ

私は、クリスチャンの両親を持つ所謂クリスチャンホームに生まれ育ちました。その為、幼少期から日曜日は教会(日曜学校に出た後は、礼拝が終わるまで教会の近くで遊んでいる)という生活でした。小学生までの無邪気で素直な思いも、中学、高校と進むにつれて、「神様に頼らなくても、自分ひとりで出来る」という慢心が強くなり、教会にはただ行くだけ(厳しい父に逆らえない)と言う有様でした。
従って、大学に進学して親元を離れてからは、思いっ切り羽を伸ばし、楽しい(?)日曜日を過ごしました。 しかし、社会人になって、「自分は井の中の蛙だった」と言う大きな挫折を味わった時に、教会に立ち戻ることが出来ました。そして、こんな自分でさえも、神様、そして両親や母教会の方々が、愛し/祈り/待ち続けていてくれたから、と言うことを、本当に素直に受け入れ、クリスチャンになる決心へと導かれていきました。
今でも度々自分勝手で傲慢な思いが脳裏をかすめるのですが、「神の受けられるいけにえは、砕けた悔いた魂。」という御言葉を支えに、今の自分があります。

伯父がお年玉の代わりに私たち姉妹4人に赤毛のアンシリーズを4冊くれました。第2巻のアンの青春を通して教会に憧れましたが、近くに教会がありませんでした。中学2年生の時、急に教会が近くに引っ越してきたので、親友3人と訪問し教会学校にも出席しました。高校生になってからは部活に勤しみ、教会には時々訪ねる程度になりました。
高校2年生の時、人間関係で部活を辞めました。その時に、幼い頃から抱えていた劣等感に襲われました。「自分には何もない、友達もいない……」と思うようになりましたが、「でも教会学校があるじゃないか」と思い、再び教会に通うようになりました。高校2年の終わりに参加した集会で、「イエス様を信じるという生き方はこんな素晴らしいのか」と知り、イエス様を信じる決心をしました。
3月生まれの為、ずっと同級生の後ろをとぼとぼ歩くような、家族からもぐずでのろま、落ちこぼれ的に見られていました。神様の愛を知った時に、家族の愛も知ることが出来、劣等感からの解放もあり、自由になりました。ちょっとやりすぎて、お節介になったりします。

いつの間にか、両親の仏教の信心を受け継いでいた私ですが、姉がクリスチャンだということを誇りに思っていました。ある日、友達に「信心なんて弱い者の道徳だ」と言われて、私の信心は一気に吹き飛んでしまい、神様に頼るような弱い者にはなるまいと、姉の聖書の言葉には耳を貸さず、反抗し続けました。
こんな私がある日、「イエス様、助けてください!」と叫んだのです。列車の中でした。お正月、親戚の家に行ったついでに、会社で住み込みをしていた姉の所に行こうとしました。ところが会社に電話をすると、姉は実家に帰っていて今はいないが、もうすぐ会社に戻ってくるだろうと言うのです!
私は慌ててすぐに列車に飛び乗り、実家に向かいました。行き違いにならないようにと願い、私はとっさにイエス様に祈りました。「助けてください!助けてください!」と心の中で叫んだのです。列車がすれ違う度に。
私が実家に戻ると、姉は荷物を持って家から出る所でした。「ああ、良かった……危うくすれ違う所だった……」家で会えて、私はもうほっとしました。神様にとってはこんな他愛のないことだけれど、私にとってはそれはもう必死のことでしたので、祈りが聞かれたことがただただ嬉しく、それからしばらくして教会に導かれました。
「イエス様は私の罪のため、十字架にかかって死んでくださったのです。その流された尊い血によって私の罪は赦されました。感謝します」と祈った時、涙があふれてとまりませんでした。イエス様はこんな私を救ってくれました。今は人の言葉ではなく、神様のお言葉を聞くことができ、神様におすがりしていくことができる幸いを感謝しています。多くの方々がイエス様を信じて救われますように祈り願っています。
M.Tさん(女性)
